日本列島縦断自転車旅 無事に達成致しました
今回、四国の最東端迄行った事で、日本列島を縦断する事が、
出来ました。
日本列島の最北端、北海道の宗谷岬から、本州、四国、そして
九州の最南端の佐多岬迄、自転車で一筆書きの縦断を終える事
が出来ました。
改めて、その様子をまとめてみます。
-------------------------------------------------------
まずは北海道。
「北海道 縦断しました」
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-1893.html

宗谷岬は雨。日本の端っこは、大抵困難で険しい山越えや岬を
越えて到達をするものですが、此処、日本の最北端の宗谷岬は、
平坦な道の先に在りました。ちょっと拍子抜けするような日本
の端っこでありました。

そして、日本の風景らしくない北海道の壮大で案外と平坦で、
急な坂道の無い、自転車で走るには最高の場所でありました。

道北や道東は、そんな風景でしたが噴火湾沿いの道南は、それ
とは違い日本の風景に似た景色で、イメージする北海道らしい
ものではありませんでした。

とはいえ、道南も日本海側では、珍しい景色を眺めながら走る
事が出来ました。

そして、北海道最南端の白神岬で北海道を縦断となりました。
--------------------------------------------------------
本州。
「本州縦断自転車旅 ようやく達成いたしました」
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-1338.html
まずは、本州最北端の大間岬から。

この日は台風並みの暴風雨の中を走りました。
ランドナーなので、泥除けとポンチョのおかげで雨の日でも
走る事が出来ましたが、宿に着いたら寒さで震えが止まらず
何はともあれ、お風呂にお湯を満たして入りました。
ああ~お風呂の有難味をしみじみと感じたひと刻であります。
場所場所で方言も習慣も違い、日本は広いなと思いました。
東北では、他所の人を受け入れる暖かさがあり、また、山間部
の景色は、古の日本を感じされるものがありました。

松尾芭蕉が歩いた道筋を辿り、千曲川沿いを下って鶴岡迄。
この日も雨でありましたが、雨の千曲川も風情がありました。
そして、秋の新蕎麦を思う存分頂いた会津。

亀の好きな大内宿も訪れる事が出来ました。
関東は、普段から生活をしているせいか、特に新たに感じる事
は無く、ただただ広いなぁ~という印象。今迄行った事がある
場所なので、新たな感動はあまりありませんでした。

この時は、本州最東端だと思っていた犬吠埼。
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-123.html
東海道の起点、日本橋の道標。
東海地方は、まず、旧道での箱根越え。

箱根の旧道。
この時は、42Tの26Tで走っていました。これでは上がれません。
昔の人が天下の険といった意味がよく分かりました。
そして、静岡を過ぎた先は戦国時代の古戦場があちこちに在り、
歴史の宝庫だと思いました。
関西では、じっくりと京都の秋を堪能して、神戸から岡山辺り
の平家物語に出てくる風景を感じ、穏やかで沢山の島が点在を
する瀬戸内海の海が、亀の育った関東の海の景色とは全く違う
のに驚きました。そして、関東の海では平気で出船するような
波でも、この地では時化なので出船はしないと聞いて、驚いて
しまいました。

東海道終着の地、京都は三条大橋。

姫路城。
この時は、改修仕立てで、白壁が朝日に眩しいお城でした。

そして、下関に至る道筋では、昔も宿場町の風情を残す場所が
いくつも在り、維持は大変かもしれませんが、ずっと何時まで
も残してほしい風景だと感じました。
---------------------------------------------------------
そして、四国。
「四国 最後の日本列島を縦断しました」
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-1901.html
最西端の険しい佐田岬から、穏やかな海に面した最東端の岬、
蒲生田岬迄を走りました。
北海道や本州や九州は、北から南というルートで走ったのです
が、此処四国は西から東というルートで走りました。

まずは、四国最西端の佐田岬から走り始めました。
此処は、最も佐田岬の近く迄行ける交通機関で走り始めました。
それは、九州からのフェリー。此処から自転車で佐田岬を迄を
走ったのですが、距離は、往復で30kmあるかないかという
ものなのですが、その間、150メートル近い山越えを3回も
しなくてはなりません。
と、いう事は、獲得標高が合計で約400メートル。エロイカ
ジャパンでの獲得標高1200メートルのミドルコースでも、
その走る距離は100km、となると、エロイカジャパン並み
のしんどさです。しかし、道沿いは蜜柑栽培が行われていて、
蜜柑の良い香りに包まれながら走るので、辛い中にも、嬉しい
ものがありました。
そして、松山から高松にかけては、お遍路道を走り、徒歩での
お遍路さんを多く見掛けました。道といい、建物の風情といい、
懐かしい日本の風景を感じました。
で、高松。

日本縦断と併せて、この地ではやっておきたい事が讃岐うどん
屋さん巡り。おかげさまで、かなりの数の讃岐うどん屋さんを
巡る事が出来ました。

で、四国最東端。
素晴らしい風景と美味しい料理を堪能して、四国縦断を果たす
事が出来ました。
--------------------------------------------------------
最後は、九州。
「ランドナーで 九州縦断果たしました」
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-1841.html
九州最北端の下関から博多、日田、別府、阿蘇、八代、鹿児島
と走りました。
九州いは思い入れがあり、食べるものでは、博多と久留米での
ラーメン。阿蘇の蕎麦。八代の魚。鹿児島での薩摩料理などを
堪能しました。
そして、歴史。

亀は、邪馬台国九州派であります。で、とても気になっていた
日田に行ってみたくて、日田から国東半島を走るコースとして
みました。日田の町は天領として栄え、昔ながらの町並みが、
残っていました。

そして、阿蘇。かつて、カルデラが生まれた山塊崩壊の時は、
どんなだったのだろうと、大観峰から景色を眺めて妄想をして
みました。

また、天草。天草四郎の生誕地が天草市では無くて、
上天草市だと知ってちょっとショックを受けました。

で、九州縦断終了の地でもあり、日本列島縦断の終了の地でも
ある佐多岬。
まあ、日本列島最南端というだけあり、結構な道でありました。
日本列島最北端とは、雲泥の差でありました。
と、いう事で、日本列島縦断を果たす事が出来ました。
残るは、本州と四国の各々1か所の端っこと、島嶼部も含めた
日本の端っこの最西端と最南端だけであります。





にほんブログ村
出来ました。
日本列島の最北端、北海道の宗谷岬から、本州、四国、そして
九州の最南端の佐多岬迄、自転車で一筆書きの縦断を終える事
が出来ました。
改めて、その様子をまとめてみます。
-------------------------------------------------------
まずは北海道。
「北海道 縦断しました」
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-1893.html

宗谷岬は雨。日本の端っこは、大抵困難で険しい山越えや岬を
越えて到達をするものですが、此処、日本の最北端の宗谷岬は、
平坦な道の先に在りました。ちょっと拍子抜けするような日本
の端っこでありました。

そして、日本の風景らしくない北海道の壮大で案外と平坦で、
急な坂道の無い、自転車で走るには最高の場所でありました。

道北や道東は、そんな風景でしたが噴火湾沿いの道南は、それ
とは違い日本の風景に似た景色で、イメージする北海道らしい
ものではありませんでした。

とはいえ、道南も日本海側では、珍しい景色を眺めながら走る
事が出来ました。

そして、北海道最南端の白神岬で北海道を縦断となりました。
--------------------------------------------------------
本州。
「本州縦断自転車旅 ようやく達成いたしました」
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-1338.html
まずは、本州最北端の大間岬から。

この日は台風並みの暴風雨の中を走りました。
ランドナーなので、泥除けとポンチョのおかげで雨の日でも
走る事が出来ましたが、宿に着いたら寒さで震えが止まらず
何はともあれ、お風呂にお湯を満たして入りました。
ああ~お風呂の有難味をしみじみと感じたひと刻であります。
場所場所で方言も習慣も違い、日本は広いなと思いました。
東北では、他所の人を受け入れる暖かさがあり、また、山間部
の景色は、古の日本を感じされるものがありました。

松尾芭蕉が歩いた道筋を辿り、千曲川沿いを下って鶴岡迄。
この日も雨でありましたが、雨の千曲川も風情がありました。
そして、秋の新蕎麦を思う存分頂いた会津。

亀の好きな大内宿も訪れる事が出来ました。
関東は、普段から生活をしているせいか、特に新たに感じる事
は無く、ただただ広いなぁ~という印象。今迄行った事がある
場所なので、新たな感動はあまりありませんでした。

この時は、本州最東端だと思っていた犬吠埼。
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-123.html
東海道の起点、日本橋の道標。
東海地方は、まず、旧道での箱根越え。

箱根の旧道。
この時は、42Tの26Tで走っていました。これでは上がれません。
昔の人が天下の険といった意味がよく分かりました。
そして、静岡を過ぎた先は戦国時代の古戦場があちこちに在り、
歴史の宝庫だと思いました。
関西では、じっくりと京都の秋を堪能して、神戸から岡山辺り
の平家物語に出てくる風景を感じ、穏やかで沢山の島が点在を
する瀬戸内海の海が、亀の育った関東の海の景色とは全く違う
のに驚きました。そして、関東の海では平気で出船するような
波でも、この地では時化なので出船はしないと聞いて、驚いて
しまいました。

東海道終着の地、京都は三条大橋。

姫路城。
この時は、改修仕立てで、白壁が朝日に眩しいお城でした。

そして、下関に至る道筋では、昔も宿場町の風情を残す場所が
いくつも在り、維持は大変かもしれませんが、ずっと何時まで
も残してほしい風景だと感じました。
---------------------------------------------------------
そして、四国。
「四国 最後の日本列島を縦断しました」
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-1901.html
最西端の険しい佐田岬から、穏やかな海に面した最東端の岬、
蒲生田岬迄を走りました。
北海道や本州や九州は、北から南というルートで走ったのです
が、此処四国は西から東というルートで走りました。

まずは、四国最西端の佐田岬から走り始めました。
此処は、最も佐田岬の近く迄行ける交通機関で走り始めました。
それは、九州からのフェリー。此処から自転車で佐田岬を迄を
走ったのですが、距離は、往復で30kmあるかないかという
ものなのですが、その間、150メートル近い山越えを3回も
しなくてはなりません。
と、いう事は、獲得標高が合計で約400メートル。エロイカ
ジャパンでの獲得標高1200メートルのミドルコースでも、
その走る距離は100km、となると、エロイカジャパン並み
のしんどさです。しかし、道沿いは蜜柑栽培が行われていて、
蜜柑の良い香りに包まれながら走るので、辛い中にも、嬉しい
ものがありました。
そして、松山から高松にかけては、お遍路道を走り、徒歩での
お遍路さんを多く見掛けました。道といい、建物の風情といい、
懐かしい日本の風景を感じました。
で、高松。

日本縦断と併せて、この地ではやっておきたい事が讃岐うどん
屋さん巡り。おかげさまで、かなりの数の讃岐うどん屋さんを
巡る事が出来ました。

で、四国最東端。
素晴らしい風景と美味しい料理を堪能して、四国縦断を果たす
事が出来ました。
--------------------------------------------------------
最後は、九州。
「ランドナーで 九州縦断果たしました」
http://555555go.blog.fc2.com/blog-entry-1841.html
九州最北端の下関から博多、日田、別府、阿蘇、八代、鹿児島
と走りました。
九州いは思い入れがあり、食べるものでは、博多と久留米での
ラーメン。阿蘇の蕎麦。八代の魚。鹿児島での薩摩料理などを
堪能しました。
そして、歴史。

亀は、邪馬台国九州派であります。で、とても気になっていた
日田に行ってみたくて、日田から国東半島を走るコースとして
みました。日田の町は天領として栄え、昔ながらの町並みが、
残っていました。

そして、阿蘇。かつて、カルデラが生まれた山塊崩壊の時は、
どんなだったのだろうと、大観峰から景色を眺めて妄想をして
みました。

また、天草。天草四郎の生誕地が天草市では無くて、
上天草市だと知ってちょっとショックを受けました。

で、九州縦断終了の地でもあり、日本列島縦断の終了の地でも
ある佐多岬。
まあ、日本列島最南端というだけあり、結構な道でありました。
日本列島最北端とは、雲泥の差でありました。
と、いう事で、日本列島縦断を果たす事が出来ました。
残るは、本州と四国の各々1か所の端っこと、島嶼部も含めた
日本の端っこの最西端と最南端だけであります。





にほんブログ村
スポンサーサイト