ランドナーで行く 稲毛・川崎二ケ領用水
梅雨の合間の曇り空の朝、ランドナーで走ります。
曇り空とはいえ、何時また雨が降り出すとも限らないので、近場
をポタします。此処の所の天気予報、あまりあてになりません。
中野島と宿河原から多摩川の水を取り入れて、鶴見や川崎の田畑
を灌漑する「稲毛・川崎二ケ領用水」。その名前のとおり、稲毛
領と川崎領のふたつの領地を潤す水道であります。
その水は、農業用水だけではなく、横浜の外国人居留地に供給を
する横浜水道にも利用されたそうです。
以前も、この用水沿いを上流から下った事がありましたが、途中
から暗渠となってしまったので、その先がどうなっているのかが
気になっていました。なので、お近く手頃なポタコースとして、
走ってってみる事としました。
事前に調べてみると、暗渠となった後は八丁畷のほうに向かって
いるようです。八丁畷の辺りは。昔は湿地帯だったそうなので、
その手前辺りで用水の役目を終えているようです。
今回は、その八丁畷を起点に上流に向かって走ろうと思います。

スタートは京浜急行の八丁畷駅。
旧東海道を跨ぐように京浜急行の線路が走り、踏切が在る所から
走り始めます。
この近くには、松尾芭蕉が詠んだ俳句を記した石碑が在ります。
その俳句が「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」。
江戸から此処まで、松尾芭蕉を慕う門人達が一緒に付いてきて、
此処で旅立つ松尾芭蕉を見送ったのだそうです。

此処から暫く走ると、JRの踏切が在ります。
此処も鶴見駅近くの踏切と同じく「開かずの踏切」として有名な
有名な所です。

そして、JR南武線沿いの道を進みます。
上に線路が走るトンネルが在ります。
JR南武支線の線路が上を走っています。
この線路、南武支線は浜川崎駅が終点となりますが、一緒に走る
貨物線は、その先、羽田空港の地下を抜けてお台場辺りからJR
京葉線へと繋がっています。
この辺りに住む亀にとっては、この線路に貨物だけでは無く、人
も乗れる電車を通してくれれば、羽田空港に行くのも大変便利に
なるので、早く通して欲しいなぁ~と、このトンネルを見る度に
気になる場所でもあります。

さて、国道1号線を横断して、尻手駅近く。
左の大きなマンションは、以前は、イマジカ(旧東洋現像所)の
現像所が在った所。この辺りは以前は工場が多かったのですが、
最近は、その工場の跡地に沢山のマンションが建つようにとなり
ました。
世間では少子の波が訪れているにも関わらず、この辺りは、生徒
の数が増えてしまい、学校の教室が足らずに新校舎を建て、その
対応を行っています。

更に走ると、お寺がぶつかります。
この辺りお寺が多く、昔ながらの寺町の風情が残っています。

そして、大きな街路樹のある通りに出ます。
昔は、京都の銀閣寺辺りの哲学の道のような風情だったのであり
ましょうか?


道端に碑がありました。
「稲毛・川崎二ケ領用水」の説明が書いてあります。

この道を少し走ると、また踏切が在ります。
この踏切は、武蔵野線から横須賀線に繋がる貨物線の線路が分岐
して単線で、南武線の線路と繋がり南武支線として浜川崎方面に
向かう線路が走っています。
先程の南武支線のトンネルが在った所の線路へと繋がっています。
先程の話ではありませんが、羽田空港に行くのに、何もわざわざ
品川辺りに新しくトンネルを掘らなくても、この線路を使えば、
新宿方面や立川方面や横浜方面から、今すぐにでも楽に行けるの
にと思ってしまいます。

道はJR南武線に沿って進みます。

JR南武線の鹿島田駅近くの踏切。
「稲毛・川崎二ケ領用水」は暗渠で、既にJR南武線の下を潜り
反対側へと続いているのですが、踏切は無いので、此処で線路を
越えます。

何となく昔は、水路に沿った道だったのだろうなと思われる道を
進みます。

その道を進むと、またJR南武線の踏切が在ります。


その脇にも石碑が在りました。石碑の説明文によれば、この辺り
でふたつに分岐した「稲毛・川崎二ケ領用水」は、川崎大師辺り
に流れる「大師掘」と鶴見の方へと流れる「町田堀」に分かれる
のだそう。そして、此方は「町田堀」になるんだそうです。

この踏切が在る府中街道を越えて、さらに進むと整備された水際
の小路が現れます。
が、暫くすると、また暗渠となってしまいます。
事前に、「稲毛・川崎二ケ領用水」の道順を調べておいた地図を
みると、また南武線の下を潜って線路の向こう側から流れて来て
いるようです。

で、先の踏切で線路を越えて、戻って来ると橋が見えてきました。
「稲毛・川崎二ケ領用水」、この先は地上の水路となっています。

この辺りから上流は、梅や桜や桃の季節にはよく訪れている場所
であります。
身近に在る昔の面影を残す「稲毛・川崎二ケ領用水」、昔の様子
を妄想しながらののんびりポタ、満喫を致しました。





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曇り空とはいえ、何時また雨が降り出すとも限らないので、近場
をポタします。此処の所の天気予報、あまりあてになりません。
中野島と宿河原から多摩川の水を取り入れて、鶴見や川崎の田畑
を灌漑する「稲毛・川崎二ケ領用水」。その名前のとおり、稲毛
領と川崎領のふたつの領地を潤す水道であります。
その水は、農業用水だけではなく、横浜の外国人居留地に供給を
する横浜水道にも利用されたそうです。
以前も、この用水沿いを上流から下った事がありましたが、途中
から暗渠となってしまったので、その先がどうなっているのかが
気になっていました。なので、お近く手頃なポタコースとして、
走ってってみる事としました。
事前に調べてみると、暗渠となった後は八丁畷のほうに向かって
いるようです。八丁畷の辺りは。昔は湿地帯だったそうなので、
その手前辺りで用水の役目を終えているようです。
今回は、その八丁畷を起点に上流に向かって走ろうと思います。

スタートは京浜急行の八丁畷駅。
旧東海道を跨ぐように京浜急行の線路が走り、踏切が在る所から
走り始めます。
この近くには、松尾芭蕉が詠んだ俳句を記した石碑が在ります。
その俳句が「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」。
江戸から此処まで、松尾芭蕉を慕う門人達が一緒に付いてきて、
此処で旅立つ松尾芭蕉を見送ったのだそうです。

此処から暫く走ると、JRの踏切が在ります。
此処も鶴見駅近くの踏切と同じく「開かずの踏切」として有名な
有名な所です。

そして、JR南武線沿いの道を進みます。
上に線路が走るトンネルが在ります。
JR南武支線の線路が上を走っています。
この線路、南武支線は浜川崎駅が終点となりますが、一緒に走る
貨物線は、その先、羽田空港の地下を抜けてお台場辺りからJR
京葉線へと繋がっています。
この辺りに住む亀にとっては、この線路に貨物だけでは無く、人
も乗れる電車を通してくれれば、羽田空港に行くのも大変便利に
なるので、早く通して欲しいなぁ~と、このトンネルを見る度に
気になる場所でもあります。

さて、国道1号線を横断して、尻手駅近く。
左の大きなマンションは、以前は、イマジカ(旧東洋現像所)の
現像所が在った所。この辺りは以前は工場が多かったのですが、
最近は、その工場の跡地に沢山のマンションが建つようにとなり
ました。
世間では少子の波が訪れているにも関わらず、この辺りは、生徒
の数が増えてしまい、学校の教室が足らずに新校舎を建て、その
対応を行っています。

更に走ると、お寺がぶつかります。
この辺りお寺が多く、昔ながらの寺町の風情が残っています。

そして、大きな街路樹のある通りに出ます。
昔は、京都の銀閣寺辺りの哲学の道のような風情だったのであり
ましょうか?


道端に碑がありました。
「稲毛・川崎二ケ領用水」の説明が書いてあります。

この道を少し走ると、また踏切が在ります。
この踏切は、武蔵野線から横須賀線に繋がる貨物線の線路が分岐
して単線で、南武線の線路と繋がり南武支線として浜川崎方面に
向かう線路が走っています。
先程の南武支線のトンネルが在った所の線路へと繋がっています。
先程の話ではありませんが、羽田空港に行くのに、何もわざわざ
品川辺りに新しくトンネルを掘らなくても、この線路を使えば、
新宿方面や立川方面や横浜方面から、今すぐにでも楽に行けるの
にと思ってしまいます。

道はJR南武線に沿って進みます。

JR南武線の鹿島田駅近くの踏切。
「稲毛・川崎二ケ領用水」は暗渠で、既にJR南武線の下を潜り
反対側へと続いているのですが、踏切は無いので、此処で線路を
越えます。

何となく昔は、水路に沿った道だったのだろうなと思われる道を
進みます。

その道を進むと、またJR南武線の踏切が在ります。


その脇にも石碑が在りました。石碑の説明文によれば、この辺り
でふたつに分岐した「稲毛・川崎二ケ領用水」は、川崎大師辺り
に流れる「大師掘」と鶴見の方へと流れる「町田堀」に分かれる
のだそう。そして、此方は「町田堀」になるんだそうです。

この踏切が在る府中街道を越えて、さらに進むと整備された水際
の小路が現れます。
が、暫くすると、また暗渠となってしまいます。
事前に、「稲毛・川崎二ケ領用水」の道順を調べておいた地図を
みると、また南武線の下を潜って線路の向こう側から流れて来て
いるようです。

で、先の踏切で線路を越えて、戻って来ると橋が見えてきました。
「稲毛・川崎二ケ領用水」、この先は地上の水路となっています。

この辺りから上流は、梅や桜や桃の季節にはよく訪れている場所
であります。
身近に在る昔の面影を残す「稲毛・川崎二ケ領用水」、昔の様子
を妄想しながらののんびりポタ、満喫を致しました。





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