ランドナーで行く 古道品川みち その1
さて、前回は狛江周辺の古墳群を巡ったのですが、少し気になる事
があったので、多摩川沿いを北上します。

で、到着したのが「大國魂神社」。

この神社、奈良時代に府中の国府が置かれていた頃、武蔵国の神社
の総大社として「六所」と呼ばれていたそうです。六所というのは、
小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神、
とても格式の高い神社です。

たまたま偶然にも本日は節分。この後、境内では豆まきが行われる
そうで、大勢の参拝客で賑わっています。
さて、その「大國魂神社」。
独特のしきたりで行われる、ここの伝統的な祭り「くらやみ祭」。
此処の祭りの関係者が、品川に在る「荏原神社」にお詣りし、品川
沖で禊をして、その潮水を持ち帰る習わしがあるそうです。
「荏原神社」といえば、パワーを感じる亀の好きな神社です。
平安時代、源頼義と義家が奥州征伐に際し、「荏原神社」に参蘢し、
品川の海中で身を浄めたそうです。その際に、「大國魂神社」にも
参蘢したので、「くらやみ祭」では、今でも大國魂神社の神職が、
荏原神社に参詣し禊を行うそうです。
と、いう事は、平安時代から府中と品川の間には、往来があったと
いう事になり、当時の往来である古道が存在していた事になります。
古墳巡りも好きな亀ではありますが、古道巡りは、古墳巡りよりも
好物なので、これはぜひともその古道を探訪したくなってきます。
と、いう事で「大國魂神社」にお詣りした上で、その古道の跡を、
探訪してみます。
その古道「品川みち」調べると、その道筋は時代によって変化をし、
また、起点も諸説あるようです。

なので、とりあえず辿り着いた脇の鳥居から、一直線に南下する道
「京所道」を進みます。これ「きょうずみち」と読むんだそうです。

暫く走ると、京王線の支線駅「府中競馬正門前駅」の前を通って、
急な下り坂を下り、JRA競馬博物館の前に出ます。そこを左折し、
車返団地を過ぎ、まっすぐに伸びた道を進みます。
随分と長い直線道路が続くので、この道が「品川みち」なのだろう
かと、心配になります。
古のみちは、多摩川の河岸段丘の上を進んだはずです。
「大國魂神社」から「京所道」を進んだものの、府中競馬場が在る
崖下の道であるこの道は、どうも古道と考えると無理があります。
とはいえ、この道、また河岸段丘の上を進むルートとなるので何処
かで、古道「品川みち」に繋がってくるかも知れません。
で、暫く走ると・・・
この道の左側に平行走る細い道が見えます。何かあの道、怪しいな
と思っていたら、鶴川街道と交差する手前でこの道に合流をします。

で、よく見ると「旧品川みち」の看板が・・・
やっぱりね。
どうやら、ここからこの道が「旧品川みち」となるようです。
暫し、この道を走りますが、多摩川住宅入口の交差点で、斜め右に
入る細い道を見つけます。

何だか、怪しいぞと思ってその道を入ると「旧品川みち」の看板が
ありました。
自慢ではありませんが、東海道五十三次を走り通した亀としては、
古道の匂いを感じ取る事が出来るようになり、その予感があったの
でありました。

住宅街の細い道、古道らしくて楽しい道です。
で、暫し走ると、先程訪れた「駄倉塚古墳」の脇に出ます。
で、事前に調べた資料では、この先、「土屋塚古墳」の近くを通り
進むのですが細い道が続くので、果たして、この道が古道なのかが
怪しくなってきます。

で、迷い迷い、徘徊しながら野川に出て、多摩川堤通りに合流する
のですが、「旧品川みち」は、多摩川堤通りとは思えません。
なので、多摩川堤通りを越えて少し走ると「みぎ八京みち」と書か
れた石碑があります。その左側には「ひだり八京みち」と書かれて
います。「旧品川みち」では無いものの、この道、興味をそそられ
ます。
さて、また、道に迷ったようです。
なので、また河岸段丘の上を進みます。

岸段丘の縁を通る細い道を進みます。
少し走ると、国道246号線にぶつかり、左折すると環状八号線と
合流します。
資料によると、此処から先は暫し環状八号線沿いを進むとあります。
なので、暫くは環状八号線を進みます。

で、東急東横線の線路を越えた先で、道が分かれます。
奥沢駅方面が「旧品川みち」のようです。

此処からは、河岸段丘の坂を下り、住宅街の中の道を進みます。
この「旧品川みち」、狛江から野毛にかけての古墳群の脇を進んで
いきます。その古墳群は、多摩川の河岸段丘の上に在るので、この
「旧品川みち」も河岸段丘の崖の縁を進んでいく道となります。
平安時代、平安時代、源頼義と義家が奥州征伐に際し「荏原神社」
に参蘢し、品川の海中で身を浄めた事から始まる「大國魂神社」と
「荏原神社」との往来ですが、狛江と二子多摩川周辺の古墳群辺り
を進んでいく道順を考えると、それよりも前の時代から、この古道
はあったのではないかと思われます。
また、この古道、多摩川台の古墳群の近くは通らずに、石川台の方
へと進みます。多摩川台の古墳群は、狛江と野毛の古墳群よりも、
古い時代の古墳群なので、多摩川台の古墳群が造られた時代では、
また、別の往来の道が在ったと思われます。

で、坂を下り暫く走ると、中原街道のT字路が見えてきます。

此処は呑川の脇、此処からは洗足池の坂を上がって、また多摩川の
河岸段丘の上を進むようです。
が、本日の古道巡り、道を間違えあちこち徘徊したおかげで、予想
以上に時間が掛かってしまいました。このまま進むと「荏原神社」
に着く頃は、すっかり暗くなってしまうかも知れません。
折角の古道巡り、じっくりと見聞する事もで出来ずに、時間を気に
して走っても面白くありません。また、この先、道に迷って徘徊を
しないとも限りません。
なので、本日はこれ迄と致します。
楽しみは後日でという事で・・・





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があったので、多摩川沿いを北上します。

で、到着したのが「大國魂神社」。

この神社、奈良時代に府中の国府が置かれていた頃、武蔵国の神社
の総大社として「六所」と呼ばれていたそうです。六所というのは、
小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神、
とても格式の高い神社です。

たまたま偶然にも本日は節分。この後、境内では豆まきが行われる
そうで、大勢の参拝客で賑わっています。
さて、その「大國魂神社」。
独特のしきたりで行われる、ここの伝統的な祭り「くらやみ祭」。
此処の祭りの関係者が、品川に在る「荏原神社」にお詣りし、品川
沖で禊をして、その潮水を持ち帰る習わしがあるそうです。
「荏原神社」といえば、パワーを感じる亀の好きな神社です。
平安時代、源頼義と義家が奥州征伐に際し、「荏原神社」に参蘢し、
品川の海中で身を浄めたそうです。その際に、「大國魂神社」にも
参蘢したので、「くらやみ祭」では、今でも大國魂神社の神職が、
荏原神社に参詣し禊を行うそうです。
と、いう事は、平安時代から府中と品川の間には、往来があったと
いう事になり、当時の往来である古道が存在していた事になります。
古墳巡りも好きな亀ではありますが、古道巡りは、古墳巡りよりも
好物なので、これはぜひともその古道を探訪したくなってきます。
と、いう事で「大國魂神社」にお詣りした上で、その古道の跡を、
探訪してみます。
その古道「品川みち」調べると、その道筋は時代によって変化をし、
また、起点も諸説あるようです。

なので、とりあえず辿り着いた脇の鳥居から、一直線に南下する道
「京所道」を進みます。これ「きょうずみち」と読むんだそうです。

暫く走ると、京王線の支線駅「府中競馬正門前駅」の前を通って、
急な下り坂を下り、JRA競馬博物館の前に出ます。そこを左折し、
車返団地を過ぎ、まっすぐに伸びた道を進みます。
随分と長い直線道路が続くので、この道が「品川みち」なのだろう
かと、心配になります。
古のみちは、多摩川の河岸段丘の上を進んだはずです。
「大國魂神社」から「京所道」を進んだものの、府中競馬場が在る
崖下の道であるこの道は、どうも古道と考えると無理があります。
とはいえ、この道、また河岸段丘の上を進むルートとなるので何処
かで、古道「品川みち」に繋がってくるかも知れません。
で、暫く走ると・・・
この道の左側に平行走る細い道が見えます。何かあの道、怪しいな
と思っていたら、鶴川街道と交差する手前でこの道に合流をします。

で、よく見ると「旧品川みち」の看板が・・・
やっぱりね。
どうやら、ここからこの道が「旧品川みち」となるようです。
暫し、この道を走りますが、多摩川住宅入口の交差点で、斜め右に
入る細い道を見つけます。

何だか、怪しいぞと思ってその道を入ると「旧品川みち」の看板が
ありました。
自慢ではありませんが、東海道五十三次を走り通した亀としては、
古道の匂いを感じ取る事が出来るようになり、その予感があったの
でありました。

住宅街の細い道、古道らしくて楽しい道です。
で、暫し走ると、先程訪れた「駄倉塚古墳」の脇に出ます。
で、事前に調べた資料では、この先、「土屋塚古墳」の近くを通り
進むのですが細い道が続くので、果たして、この道が古道なのかが
怪しくなってきます。

で、迷い迷い、徘徊しながら野川に出て、多摩川堤通りに合流する
のですが、「旧品川みち」は、多摩川堤通りとは思えません。
なので、多摩川堤通りを越えて少し走ると「みぎ八京みち」と書か
れた石碑があります。その左側には「ひだり八京みち」と書かれて
います。「旧品川みち」では無いものの、この道、興味をそそられ
ます。
さて、また、道に迷ったようです。
なので、また河岸段丘の上を進みます。

岸段丘の縁を通る細い道を進みます。
少し走ると、国道246号線にぶつかり、左折すると環状八号線と
合流します。
資料によると、此処から先は暫し環状八号線沿いを進むとあります。
なので、暫くは環状八号線を進みます。

で、東急東横線の線路を越えた先で、道が分かれます。
奥沢駅方面が「旧品川みち」のようです。

此処からは、河岸段丘の坂を下り、住宅街の中の道を進みます。
この「旧品川みち」、狛江から野毛にかけての古墳群の脇を進んで
いきます。その古墳群は、多摩川の河岸段丘の上に在るので、この
「旧品川みち」も河岸段丘の崖の縁を進んでいく道となります。
平安時代、平安時代、源頼義と義家が奥州征伐に際し「荏原神社」
に参蘢し、品川の海中で身を浄めた事から始まる「大國魂神社」と
「荏原神社」との往来ですが、狛江と二子多摩川周辺の古墳群辺り
を進んでいく道順を考えると、それよりも前の時代から、この古道
はあったのではないかと思われます。
また、この古道、多摩川台の古墳群の近くは通らずに、石川台の方
へと進みます。多摩川台の古墳群は、狛江と野毛の古墳群よりも、
古い時代の古墳群なので、多摩川台の古墳群が造られた時代では、
また、別の往来の道が在ったと思われます。

で、坂を下り暫く走ると、中原街道のT字路が見えてきます。

此処は呑川の脇、此処からは洗足池の坂を上がって、また多摩川の
河岸段丘の上を進むようです。
が、本日の古道巡り、道を間違えあちこち徘徊したおかげで、予想
以上に時間が掛かってしまいました。このまま進むと「荏原神社」
に着く頃は、すっかり暗くなってしまうかも知れません。
折角の古道巡り、じっくりと見聞する事もで出来ずに、時間を気に
して走っても面白くありません。また、この先、道に迷って徘徊を
しないとも限りません。
なので、本日はこれ迄と致します。
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